2012年5月26日土曜日

8カ月ぶりにウズベク料理のお店「キシュラック」に夕食に行きました。前回行ったのは去年9月でしたが、ロシア語ゼロ、中央アジアの料理についての知識もゼロで、食事までに長い時間がかかりました(その顛末は9月13日付の記事「ウズベク料理」で)。今回はもっとスムーズ。飲み物にまず馬乳酒を注文し、野菜はビーツサラダとピクルスの2品、パンはボルサック(揚げパン)、肉料理はマトンのシャシリク、それにウズベク風炊き込みご飯を選びました。馬乳酒を初めて口にした娘曰く、「かつお出汁の味がする」。やっぱり・・・美味しい馬乳酒を飲むと私もそう思うのです。醗酵した酸っぱさのなかに、慣れ親しんだお出汁の味がするから不思議。馬乳酒に慣れてからは、それをすこしずつ飲みながら肉料理を食べるというのが好きになりました。口の中の脂が流れ、さっぱりする感じです。
食後は「チャイ・ス・マラコー」。ロシア語でチャイはお茶、スはwithのこと、マラコーはミルクです。カザフ人はミルクティーが好きなようで、カザフスタン風チャイと言えばまずこれです。日本の湯のみ茶碗をすこし大きくしたような器の糸底の部分を片手で持ち、お店のお兄さんがお茶を注いでくれました。飲む時も片手で飲むのが正式です。ヒトサシ指を茶碗の内側にかけ、あとの4本の指で茶碗の外側を支えます。日本だと注意されそうな飲み方ですが、こうして飲む紅茶は中央アジアのチャイの味です。

食後は「チャイ・ス・マラコー」。ロシア語でチャイはお茶、スはwithのこと、マラコーはミルクです。カザフ人はミルクティーが好きなようで、カザフスタン風チャイと言えばまずこれです。日本の湯のみ茶碗をすこし大きくしたような器の糸底の部分を片手で持ち、お店のお兄さんがお茶を注いでくれました。飲む時も片手で飲むのが正式です。ヒトサシ指を茶碗の内側にかけ、あとの4本の指で茶碗の外側を支えます。日本だと注意されそうな飲み方ですが、こうして飲む紅茶は中央アジアのチャイの味です。


アスタナでは陽射しが急に強くなってきました。ステップにある平坦な街に空から太陽光が垂直に注いでくるように感じます。そのうえ、アスタナの新しい建物はガラス張りだったり奇抜な色合いだったりで光を反射し、一層まぶしく感じます。本格的な夏になると、新市街地のキラキラはちょっと気が滅入りそうな予感です。
反対に中央アジアならではの一品なら、距離も時間も厭わずに出かけ、庶民的なものから高いものまで味わってみたいと思います。
中をのぞけばけっこうな賑わいです。「どんな料理があるのかちょっと見るだけ」と入ってみました。カウンターに様々な料理が並んでいて、お客が好きなものを取り分けてもらってお金を払うシステムです。ここで急に行き先変更。アスタナの普通の人たちが食べているものを食べてみたくなり、ランチをすることになりました。店員さんも列に並んだお客も、すぐに私たちが外国人だと察して苦笑い。選んだ料理の組み合わせも、ちょっと妙だったのかも。日本の飯屋に例えれば、サバの塩焼きとツナサラダを頼むような・・・。一皿も予想以上の大盛りでしたが、細かい説明をして減らしてもらう語学力がないため、結果はこんな風です。私のトレーはジャガイモと鶏肉の炒め物、ビーツサラダ、コンポート。
夫はロールキャベツ(ご飯入りでした)とプロフ(炊き込みご飯)で、結局はダブルライス。価格は1人350円ほど。味はカザフスタンにしては珍しくちょっと濃い目でしたが、家庭的な味でした。
この半年は久しぶりによくパースニップを食べました。パースニップは砂糖ニンジンとも言われ、白っぽいニンジンのような姿をした根菜です。セリ科だと聞くと納得の独特の香りとクセもあります。私がパースニップを知ったのはニューヨークで暮らした時。ハロウィーンの頃から市場に出始めるので、パースニップを見かけると「そろそろ寒い季節がやってくる」と感じたものでした。日本では一般的な野菜ではないので忘れかけていましたが、ここアスタナで再会。ヨーロッパが原産とのことなので、そちらから輸入されているのかもしれません。カザフ系の人たちが食べるのかどうかはよくわからないのですが、ボルシチなどの材料としてはリストされていることもあるので、ロシア料理には使われているようです。
アスタナで手に入るパースニップは、ニューヨークのパースニップの何倍もの甘さ。サツマイモに負けないくらいの甘みです。さすがに5月ともなるとシーズンは終わり、見かけなくなってきました。
(主な原因は家庭内暴力や貧困)でも、年配のパワフルな女性たちがたくさん働いていました。この国はバーブシュカ抜きには動かないのではと思うほど。年をとれば若い時とは違う役割があって忙しい、と胸をはります。
市場に行くと多種多様なナッツ類とともにドライフルーツが売られています。中国の新彊ウイグル自治区からカザフスタンなどシルクロード沿いにある内陸地域の気候は、昼夜の寒暖の差が大きく、果物の生産に適しているそうです。たくさん収穫された果物はもちろんそのまま市場に並びますが、同時に乾燥させて保存食にもなります。
入っているのはリンゴやナシをスライスし乾燥させたもの、色も形も均一でないウメ、アンズ、プラム、ブドウ等々。これがいわゆる「コンポート」の材料です。コンポートというと果物を甘く煮たものを連想しますが、カザフスタンではドライフルーツから作る飲み物のことです。
エビやマグロ、鮭など8種類が1パックになっていますが、すっかり冷凍焼けしていました。次が花の博覧会会場で販売されていた花瓶。これにどんな花が似合うのかとしばし考えてみましたが、花は活けないほうが良さそうです。そしてローカルなショッピングモールのマネキン。実は身長1mほどの子どものマネキンなのですが、顔が老けすぎで怖いです。最後にこの階段、よく見ると一段ずつ高さが違います。カザフスタンでは階段の高さが均一な建物は希少。高かったり低かったりが当たり前で、適当に作っているようです。不注意から階段をふみはずし、それをひきがねに何もかもムカつく日が来ないよう暮らして行きたいと思います。

この1カ月あまりでアスタナの景色は大きく変わりました。街の色は白から茶色そして緑へ。最高気温がマイナス20度からプラス20度へ。昼間の時間がどんどん長くなり、日の出は5時半、日没は21時前です。季節の変化を慌てて追いかけるように、私も冬物のセーターをしまいこみました。写真右は旧市街地にある公園です。木漏れ日がこんなにきれいだったとは。おばあちゃんがまだ厚着のまま、のんびりベンチに腰掛けていました。
砂糖を入れ、煮詰めて練って粒餡を作り終えたらお昼過ぎでした。その頃には、アンパンを食べたいかどうかより、大量の粒餡を前に途中で放り出せなくなっている感じ。遅い昼食のあと、今度はパン生地にとりかかりました。日本の家にはニーダーがありますが、ここでは手ごね。一次醗酵のあと丸めて餡を詰め、二次醗酵。そして午後6時、ようやく粒餡のアンパンが焼き上がりました。
昨日の5月1日は「Unity Day(民族統一の日)」で祝日でした。街なかの大きな広場に前日からテントが建ち並んだので、何やらあるらしいと出かけてみると、カザフスタンに暮らす様々な民族の文化祭でした。各テントの入り口に民族名が書かれ、中はそれぞれの生活雑貨や伝統工芸が展示され、伝統衣装を着た人たちがお客といっしょに記念撮影したり質問に答えたりしていました。中央ステージで歌や踊りが次々に披露されたほか、各テントの前でも踊りの輪ができていました。
そしてわかったのは、手元の地図のシナゴーグとカトリック教会の位置が反対に示されていたということ。家から行くと、大きな通りを左折したら教会。なのに地図が間違っていたために私は右折を繰り返し、アスタナの右(東)半分をうろうろし続けていたのでした。
4月のアスタナは一気に雪がとけ、一気に人々が開放される月。物産展や作品展も次々に開かれています。外を出歩けるようになった喜びを実感しつつ、私も美術展を見逃さないように出かけています。そんななか、とても印象的だったのがカザク人アーティスト、Zamzegul Oralbaeva(ザムゼグル・オラルバエーヴァ、左写真)のフェルト展でした。1975年生まれ、アルマティの美術学校で教育を受け、遊牧民の伝統的なフェルト技術を使って創作活動をする若い作家です。
作品のテーマはステップの自然と広い空、そして遊牧民の文化。色調はいずれの作品も茶系・シルバー系です。今回展示されていたのはすべて壁掛けで、旧市街地にある近代美術館の一室で開催されました。写真右の作品には、ユルトの天井とステップの生き物たち、ステップを吹く風が描かれています。遊牧民の赤ちゃんはこの梁の形を見ながら大きくなり、外界の気配を感じていくのでしょう。私はしばらくこの作品の前から離れられませんでした。アーティストのあたたかい人柄と強い文化的アイデンティティがあふれていて、じんわりと心にしみる作品展でした。


あれ~酸っぱ~い!幼い頃、父が散歩道でスイバを手折って「食べてみろ」と言った時の味の記憶がよみがえりました。酸味が強いので煮物やおひたしには向かないと思い、トマトとコンソメのキューブを入れてスープにしました。火を通すととろみがすこし出て、さわやかな美味しさです。あとから事務所のスタッフに聞いたら、shavelという野菜でやはりスープで食べるとのこと。春が旬だそうです。しかしshavelをネットで調べても和名や英語名がなかなかわからず、今日になってやっと判明。shavelとはなんとスイバ(sorrel)だったのです!自分の味の記憶にびっくり、そして50代で亡くなった父が若い頃に散歩する後姿を久しぶりに思い出しました。
地方の街に行くと、できるだけ博物館や美術館を訪ねることにしています。パブロダールで今回訪ねたのはMuseum of Local History。イルティシュ川の土手で発掘された化石や土器、パブロダール州内の生物、歴史、手工芸品など多岐にわたる展示物を見ることができました。建物は帝政ロシア時代の商人の家。英語での説明を博物館内のガイドさんにお願いしました。
ユルト入り口から中を覗いて歓声をあげた私に、ガイドさんがそっと立ち入り禁止のスタンドをずらし、「入ってみますか」と言ってくれました。館内にいたのは私と事務所の運転手さんのみ。その博物館にほとんど来ないであろう外国人だったからなのか、私がよほど中に入りたいという顔をしていたからなのか。もちろん大喜びで中に入れてもらい、更にずうずうしくも「あの~写真を撮っても良いですか」・・・若い頃、こんなこと絶対に言い出せなかった私です。
特別に許可をいただき、天井を1枚、ユルトの入り口から入って右側の部分を1枚撮りました。ユルトの天井の梁はこんな形。上部は開閉できるようになっていて、時計がなかった時代には太陽の動きを見て時間を知ったとか。また、ワンルームのユルトでも室内の場所によって区別があり、入り口から入って左側が男性の場(書斎)、右側が女性の場(寝室と台所)、正面奥がゲストを通す場となっているそうです。フェルトの敷物や壁掛けは室内の飾りとともに保温の役割も果たしています。




車でまだ行ったことのない市場に行こうとして、道をまちがえました。地図で確認すると、市街地北西部のアスタナ駅近く。そういえば駅を見たことがなかった・・・。駅前の通りに車を停め、ぶらぶらと歩いて駅の見物に出かけました。アスタナ駅はソ連時代にはツェリノグラード駅、カザフスタン独立後の1994年からはアクモラ駅と称され、今の名称になったのは2001年。正面の青い建物は2003年に改修された駅舎です。
その左手にはソ連時代の古い建物が宿泊所として残っており、壁面には大きな4つのモザイク画があります。その1つは宇宙飛行士と科学者がモチーフでした。宇宙飛行士が右手にかかえるオレンジのヘルメットに、「CCCP」という文字が見てとれました。これは、ソビエト社会主義共和国連邦をロシア語で表記した時の略称です。こうして古い体制を感じさせるものがそのまま残してあるところ、カザフスタンの大らかさと自信みたいなものをふと感じてしまいます。駅前広場には1922年製の蒸気機関車が保存され、周囲はベンチが置かれて小さな憩いの場になっていました。
左端は絵のとおり、「白熊」という名前でアルコール度4.5%。隣の青・赤の缶はどちらも「カラガンダ・ビール」で、アルコール度6.5%。違いは名前の下の表示です。赤の方は「黒」、つまり黒ビールなのですが、青の方の「強い」は苦味の強さでしょうか。カラガンダはアスタナから南へ250kmの街。先月のブログでも書きましたが、歴史的背景からヨーロッパ系、とくにドイツ系の移民が多かったことが影響したのか、ビール造りが昔から盛んなところです。そして右端の瓶ビールが「アルマ・アタ(旧都アルマティの旧称)ビール」で、アルコール度4.4%。
以前にも書きましたが、遊牧民は移動を繰り返すため、その食器は木製や金属製が主流でした。陶磁器では欠けたり割れたりしやすいからです。そんなわけで、ここでは地元の職人が伝統をうけ継いで作る陶磁器に出会うことは望めませんが、カザフスタンらしさが感じられる焼物が最近になって作られています。2006年創設のEmpire社が生産販売するお皿です。この会社は陶磁器のほか、置物や宝飾品など上質の贈答品も生産しています。
わかり次第、また報告
ところで、運転しているうちに車がみるみる汚れてきました。アスタナでは厳寒期の滑り止めとして、粗い砂混じりの土を道路にまくのですが、それが雪どけとともに泥に変わり、道往く車は泥んこ状態。ナンバープレートの数字も読めません。気温の上昇とともに先週あたりから泥水が干上がってきたので、初めて洗車に行くことにしました。事前に集めた情報では、洗車は「手洗い」と「機械洗車(外側のみ)」から選択、機械洗車の料金は1000~1200テンゲとのこと。とりあえず「手洗い」「機械洗車」とキリル文字で書いたメモを持ち、出かけました。
その間、邪魔にならないように洗車場のなかで立って見物。まず高圧洗浄機で外側の泥を落とし、洗剤、コーティング。車内すみずみまで掃除機をかけ、足元のマットも取り出して洗ってくれました。窓を内外から磨き上げ、ブラシを使って細かいホコリもとり、最後に水滴ひとつ残さずに拭きあげること30分。車はぴかぴかになりました。料金3000テンゲ(約1500円)。運転は荒いけど、洗車サービスは細かい。車が驚くほど高価なカザフスタンでは、サービスへの要求も高いのだと思います。



3月19日付けでブログに書いた松の実の「その後」。1000個近い松の実すべての皮をむいてやろうという意欲は、200個くらい済んだところであえなく消え、残りはしばらく冷蔵庫に置きっぱなしになっていました。先週になってやる気が復活。全体の半数くらいの皮をむき終えました。そうなると今度はジェノベーゼを作ろうと思いたって市場へ。バジルを買いに行ったのですが、あいにく価格が高く量も少なく・・・計画変更かと思った時に目に入ったのが、安くて大量のイタリアンパセリでした。
「冬は毛皮が必要」といろいろな人から言われ、毛皮やブーツを初めて見に行ったところでもあります。余談ですが、この冬をダウンだけで過ごした私。去年より厳しい冬だったそうですが、最も寒い時期にアスタナにいなかったこともあり、毛皮がなくとも大丈夫でした。一方、ユーラシアで買ったニセもののUGGブーツはとても重宝しました。
「ここのバーガーは安くて美味しい」と教えてくれました。一番小さいもので250テンゲ、ダブル・バーガーやトリプル・バーガーもあります。KFCに飽きたらビビゴンのバーガーを買うんだとか。確かにパンもお肉も美味しくて、中に入っている野菜も新鮮でした。ファーストフードを食べることがない私は、今回教えてもらわなければお店に入ってみることもなかったと思います。ビビゴンは手作りのやさしい味。たまには良いなと思いました。ちなみに、カザフスタンにマクドナルドは進出していません。
ついに見つけてしまいました!かつて実際に、どこかでだれかのユルトの壁を飾っていたタペストリー。新しく作られた製品ばかり並んでいる民芸品店の片隅で、何気なくたたまれ重ねられた古びた布を見た瞬間、「これは、もしや・・・」と思ったんです。ほこりでくしゃみをしながら広げると、縦1.2m×横2mの布でした。端がほつれたり、色が褪せたり、しみがついたりしているものの、色鮮やかな細かな手刺繍がほどこされていました。裏地はハギレが何枚も縫い合わされ、表地、薄い中綿とともにキルティングされています。面白いことに、タペストリーは3辺のみがきれいに処理され、底辺にあたる1辺だけ切りっぱなしになっていました。手の込んだ刺繍と対照的ないい加減さに、どうして4辺ともきちんと処理しなかったのだろうと最初は不思議に思いましたが、すぐに理由がわかりました。ユルトの内部の写真を見ればわかるのですが、ユルトの生活では壁面にタペストリーを掛け、下の部分に家具やクッションなどが置かれています。そのため、タペストリーの底辺部分は処理しなくても、家具などに隠れて見えなかったということのようです。
その証拠に、このタペストリーも底辺に近い部分は何かに覆われて光があたらなかったらしく、色褪せていませんでした。

ここで日常的に手に入る色鮮やかな野菜で忘れてはならないのがビーツです。コゲチャの無骨な塊を皮ごと茹であげれば、中はこんなにきれいな赤紫色。茹で時間は小さいもので30~40分、大きくなると1時間半ほどかかります。手で押してみた感じで、茹で上がりを判断します。茹でたビーツを使ってロシア料理、ボルシチを作ってみました。ボルシチの色はまさにこのビーツの色。ボルシチと聞くと「肉」というイメージがあったのですが、本来はトマトの酸味とビーツの甘さを楽しむ野菜が主役のスープなのではと思います。もうひとつ、気に入っているのがビーツとリンゴとくるみのサラダ。マヨネーズとレモン汁であえています。サラダにすると、ビーツの甘みだけでなく土臭い力強い味が楽しめます。
リンゴもビーツ色に染まり、料理をした指先も赤くなります。



