カラガンダ(2) ― カルラグ

2012年3月17日土曜日

旧ソビエト時代、とりわけスターリン政権は政治的弾圧を強化しました。以前にも、ドストエフスキーが政治犯として東カザフスタン州に囚われていたことを書きましたが、カラガンダ州はそういった囚人の強制収容所が集まっていた場所です。強制収容所をロシア語でグーラグ(Gulag)と言い、特にカラガンダ州にあった収容所はカルラグ(Karlag)と呼ばれました。ここにはソビエト国内はもとより、世界各地から追放者や捕虜が送り込まれたそうです。カルラグが存在した1932年から1961年までの30年間に、その数は延べ80万人。a0238314_1364975.jpg多くが石炭の採掘、土木建設などの重労働に当たりました。ポーランド、ドイツ、チェチェン、ギリシャ、韓国、そして日本の捕虜もいたそうです。カルラグの歴史はその後も長い間つつみ隠されてきました。1961年、カルラグの閉鎖に伴って釈放された人々は「今後25年間、カルラグのことをいっさい他言しない」という誓約書に署名を強要されました。
右写真はドリンカ村。カラガンダ市の中心部から45キロほどの郊外にあるひっそりとした村です。家々の前には燃料に使う石炭が無造作に置かれていました。この村にもかつて収容所があり、今はそこに当時の貴重な資料を収めた博物館が建っています。雪に覆われた村の一角から、突然目に飛び込んできたソ連の赤い「鎌と槌」。a0238314_1375558.jpg背後に見えるのがカルラグの管理事務所だった建物で、それが改修され博物館になっています。内部には当時を物語る分厚いドアや陰気な小部屋、それとは対照的に管理者らの贅沢な部屋が当時のまま保存されていました。ロシア語ガイドの説明を英語に通訳してもらいながら、1時間かけて館内を回りました。
カルラグから開放された後、もちろん祖国に帰った人もいますが、カラガンダに定住した人も少なからず居たと言われています。この街には、今も重い記憶を抱えた人々とその子孫が暮らしています。
by kouribakokara | 2012-03-17 01:54 | | Comments(0)


海外を転々とする生活が終わりました。行李箱(中国語でスーツケース)で運んだ数々のものたちとともに暮らす日本での生活をつづります。


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http://movies.nytimes.com/2011/03/18/movies/the-gift-to-stalin-story-of-a-jewish-boy-review.html

「The Gift to Stalin」
旧ソ連体制時代のカザフスタンの片田舎での出来事を描いた映画。背景に映し出されるステップの四季がとてもきれい。

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